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40 野尻宿〜39 須原宿    長野県大桑村

 須原の宿場町の手前には、一里塚があった。「下在郷の一里塚」という名前で、江戸から77番目のものだった。 4割以上中山道を進んできたことになる。

 須原宿は七曲りと言われる、くねくね曲がっている道が続く。 宿場ではこのような「曲尺手(かねんて)」と呼ばれる箇所がある場合が多い。 これは外敵を避けるためであり、また大名行列同士がすれ違わないようにする役割があった。

 だがここまで道が曲がっていた場所は、今まであまりなかったと思う。

 その七曲りの真ん中に、本陣はあった。今では1つだけ木製の手書きの案内板があるだけだった。

 国道に戻って、すぐのところには大桑の道の駅があった。既に正午を過ぎているので、簡単に食事をとることにした。

 売っていた1個100円のパンを2つ購入。そのうち1つを口にする。 妻籠宿のコーヒー以来、食べ物は昨日大井宿(恵那市)で買ったスティックパンだけしか食べていなかった。 スパイスが効いていたカレーパンで、美味しかった。

 食べているとトラックの運転手が話しかけてきたので、会話をした。 

 「この寒い雨の中自転車とは大変だね」
 「いえいえ、趣味でやっていることですので」
 「今木曽福島方面からやってきたんだけど、上は雪だったぞ。気をつけて行くんだな」

 ……雪。覚悟はしていたが、自転車が走れないほどの雪なのだろうか? どうしても無理な時は、2時間に1本の普通電車で移動するしかなさそうだが、あくまで最後の手段だ。

 大桑駅を通過。国道19号はずっと木曽川に沿って走っている。 木曽谷は木曽川によって作られたのだから、当然と言えば当然だが。

 そんな木曽川の風景を見ていると、余計に寒くなってくる。馬籠峠付近とは違い、雪は積もっていないのが幸いか。 景色は良いのは確かだが、それを楽しむ余裕はあまりない。

 須原駅(須原宿)が近くなってきたので、地図を見つつ再び国道を外れる。 道路の案内標識によれば、現在中津川から36km。そして木曽福島まで20km・塩尻まで64km。


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