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39 須原宿〜38 上松宿   長野県大桑村〜長野県上松町

 須原宿に到着。街道のいたる所に、水舟がある。水舟とは、木をくり抜いて作った水場のこと。 その木もサワラ(ヒノキに似たの植物)という、木曽五木に指定された樹木が使われている。

 木曽五木とは、当時尾張藩によって伐採が禁止された5種類の樹木のこと。 安土桃山より前からこの地域の樹木は質が高く、高級木材だった。 しかし、江戸時代初期に城下町建設のために大量伐採が行われ、山は荒廃してしまう。 そこでヒノキなどの5つの種類の樹木に対し、尾張藩が厳しい保護政策をとったのだ。 当時の保護政策のおかげで、現在この近くの山々は木曽五木が中心の森林を形成している。

 雨の中の宿場も、見ている分には風情がある。雰囲気を感じながら進んでいく。 宿場の最後にある中央本線の須原駅も、木造の駅舎。 自分は昔の映画でしか見たことがほとんどなかった、赤くて丸いポストもあった。

 須原の宿場はこれでおしまい。次の上松宿を目指す。 この辺りの国道には歩道がないので、車道を邪魔にならないように走る。 もちろん普段は車道を走らねばならない自転車。 だが50km/h 制限の道路なのに、それより飛ばす車やトラックがいる木曽高速。 車道は危なくて走りたくないのが本音といったところだ。しかし歩道が無いのなら仕方ない。

 上松町に入る。読み方は「うえまつちょう」ではなく「あげまつまち」。 長野の町は「まち」と読むところがほとんど。これは東日本の多くの町での特徴でもある。

 大倉駅を過ぎてから少し行った所で、通りがかりのコンビニに立ち寄り昼食にする。 買ったものは、幕の内弁当とお気に入りのツナマヨおにぎり。 雨を避けるように、屋根の下で食べる。疲れてあまり食欲がないが、動けなくなったら困るので半ば強引に口にする。

 この近くには、国の名勝「寝覚の床」がある(決して「目覚め」ではない)。 木曽川の激流によって花崗岩が浸食された地形。水も透き通った緑色をしているそうだ。浦島太郎の伝説も残っている。 余裕があれば一目見ても良かったが、余計に雨に体をさらしたくなかったので行かなかった。

 昼食終了後、再び緩やかな上り坂を上る。上松の宿場はもうすぐだ。 旧道と新道が分かれているところには、創業300年以上の蕎麦屋「越前屋」があった。 元々の計画ではここで食事を……と考えていたが、濡れた体で店内を汚すわけにはいかないので諦めた (右の写真は、左右方向に引き伸ばしています)。


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