38 上松宿〜37 福島宿 長野県上松町〜長野県木曽町(旧木曽福島町)
その旧道の入り口には、上松宿の大きな看板が。いつものように国道を離れる。 なお、本当の旧中山道へはもう一本奥を左に曲がらなければいけなかった。 上松宿も、先ほどの須原宿と同様に、木曽五木で栄えたところだった。須原がサワラだったのに対し、上松は木曽ヒノキ。 どちらもヒノキ科の植物。素人にはなかなか見分けがつかない。 下り坂を通り上松の町に着くと、割と新しい、栄えた集落があった。 昭和の大火で古い建物の多くが焼けてしまったそうだ。 だが通りから一筋隣の旧道には、狭さ・くねり具合といった旧街道の面影が残っていた。 この辺りの建物は先ほどのもとは違い、古いものも少しだけならある。 集落の外れに「玉林院」という寺があった。案内にも旧中山道の文字が入っている。 ここの寺の門も江戸時代からのものらしい。 上松を出た先には、当時「木曽の桟(かけはし)」があった。ここも昨日の太田の渡しと同様、中山道三大難所の一つだ。 木曽の桟と言っても木曽川に架かる橋ではなく、谷の絶壁に沿って横に架けられた桟道のことを指す。 現在では国道19号の下に一部だけ当時の石垣が残されている。 後ほど追分宿の中山道資料館で、この事を聞かされる。同じ名前の酒のラベルは間違いだという。 もっとも自分は酒の名前には詳しくないので、その名前の酒は知らなかった。 それどころか、この時はあまり意識することなく木曽の桟の上の国道を通過してしまった。 仕方ないよね、雨が降ってたし。 桟の先には、木曽福島の道の駅。休んでばかりだが、まあいいだろう。立ち寄る。 ここでもパンを買い、食す。こまめな栄養補給をとり、気力と体力を注入する。 スタンプを地図に押すことも忘れない。 この時点で14時を過ぎていた。少しペースが遅いかもしれない。道の駅を発つ。 木の人形付きの木曽福島の目印が目に飛び込んできた。ご丁寧に福島関所への案内板もついている。 旧中山道もこの道のようだ。 木曽谷最大の街、木曽福島まで来た。今日の行程もあと半分だ。 |
39 須原宿へ戻る 中山道表紙 37 福島宿へ進む