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37 福島宿〜36 宮ノ越宿   長野県木曽町(旧木曽福島町〜旧日義村)

 町としての木曽福島は、平成の大合併で消滅した。だが、中央本線の駅は木曽福島駅のまま。 名古屋〜長野間を結ぶ特急も全て停車するなど、この地域の中心駅だ。 長野県の木曽地域全体の人口は3万弱だが、合併してできた木曽町には1万以上の人が住んでいる。

 そんな木曽福島には、四大関所の一つ、福島関所があった (残りの関所は東海道の新居・箱根の関所、そして中山道の碓氷関所)。 関所は木曽川の断崖上の狭い場所に設けられていた。 現在は番所が復元され、木曽福島の観光名所になっている。

 福島関所に行ってみる。関所の入り口までは細い上りの道が続いていた。 自転車を押していき、関所の資料館前に止めておく。

 先を急ぎたいので資料だけもらえないかと受付の人に一応尋ねたが(既に時刻は15時前)、 やはり無理だったので見学していくことに。 そういえば馬籠・妻籠の街並み以外でしっかりと観光するのは今日は初めてだ。

 資料館の下駄箱前で雨合羽・ビチョビチョの靴下を脱いで見学する。 目に飛び込んでいた五街道の手書きの地図が心に残っている。

 資料館は充実していた。大量の古文書があった。 全てに興味があった訳ではないが、興味を引いたものは満足するまで眺める。 時間が無くても展示物を見耽ってしまうのが自分の悪い癖。

 関所を無事通過し、次の宮ノ越の宿場を目指す。福島の街の出口にも関所を模した、車も通れるサイズの門があった。「冠木(かぶき)門」というやつだ。

 道は再び木曽国道。上り坂の登坂車線のすみっこを走らせてもらう。もし上り坂に登坂車線が必ずあれば、自転車にも走りやすいのだが。

 原野の交差点を左に曲がり、またまた旧道へ。中山道を旅するものとして、欠かせない地点を探す。 道の両側に注意を払いそれを探すと、右手にあった。

 探していたのは「中山道中間地点の碑」。ここは京都から67里28町、そして江戸までも67里28町(約266.2km)の地点。 ここまで2日半という過酷な行程で進んできた。江戸時代の歩きの旅人も一週間はかかる距離。 このまま中山道を走破するにしても下諏訪から甲州街道を進むにしても、後半もこのペースというのは絶対に不可能だろう。

 碑の前で記念撮影をしていると、傘をさした地元のオバサンが話しかけてきた。 ザーザー雨が降っている中、道端で合羽を着た人が看板の写真撮影をしていると、不思議な人に思われて当然だろう。

 事情を説明すると、ご親切にも持っていたお茶菓子を分けて下さった。たった今お店で買って来たものだという。丁寧にお礼を言い、ありがたく頂戴する。なんだか申し訳ない。 彼女の息子さんも自転車に乗る人らしく、その人が大学生の時は岐阜高山〜長野松本間の乗鞍高原(自転車で行ける日本最高地点)に行ったそうだ。 おそらくその息子さんと自分のイメージが重なったのだろう。

 心を一新して再出発。旧道が走りやすそうだったので、木曽高速には戻らず旧中山道を走る。 原野駅を過ぎれば、次の宮ノ越駅まで3kmほど。宮ノ越の宿場のあった集落だ。


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