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32 本山宿〜31 洗馬宿 前半    長野県塩尻市

 贄川の宿場を出てから40分ほど走った国道に、上松や贄川の宿場と同様の本山宿の看板があった。

 ここまで、2度ほど本山の宿場を間違えていた。
 1度目は贄川から比較的とすぐの、国道から外れた集落がそれだと思ってしまった。 この時は、精度が悪いスマホのGPSで中央本線の日出塩駅をまだ通過していなかったことで気がついた。
 そして2度目は、その日出塩駅がある集落が本山宿のあったところだと勘違いした。 たまたま通りかかった地元のオジサンに聞いて、それが間違っていることを知った。

 宿場内には、本陣や脇本陣の跡を示す碑があった。本日最後の宿場を、確認するように見ていった。

 ここ本山は、現在の細く切られた麺としての蕎麦の形が作られた場所だという説がある。 それ以前は、そば粉をお湯で溶かしたり、そば粉の餅を焼いたりして食されていたという。 もしこの説が本当なら、参勤交代という制度のおかげで全国に広まったのは速かっただろう。

 この日の宿場めぐりはこれにて終了。後は洗馬駅の近くの国道沿いにある、予約した民宿「千倉」に向かう。

 最後にもう一度だけ木曽高速を走る。最後の精神力を振り絞ること10分。ようやく本日の宿泊地に到着した。

 とりあえず雨に濡れない位置に自転車を置かしてもらう。 それから自転車に積んでいたほとんどの荷物を、民宿の御夫婦に案内されて、自分の部屋に運ぶ。

 風呂の前に食事を先にとって欲しいと言われたので、そうすることに。 遅くなるという連絡は一応入れておいたのだが、到着は予想以上に遅かったらしい(到着時刻は19時半)。 そして温かい部屋で、目の前に料理が出てきたときの感動はいかほどのものか。 感動を忘れないように、レンズの中が曇ったカメラで写真を撮る。

 食事は最高だった。このような豪華な夕食も久々ではないだろうか。 確かに前々日は牛丼で、前日は親子丼だった。 ご飯と味噌汁がそろった食事だけでもありがたいのに、あまたの種類のおかず。 ご飯のおかわりを何回もして、全てをおいしくいただいた。

 その後の風呂も天国だった。 途中で何度か休憩をとったとはいえ、ほぼ1日中雨風に晒されていた身体には涙が出そうなほど嬉しい。

 風呂から出た後は、かなり早く床に就いた。正直この日は大変だった。 雨やみぞれの中、馬籠峠と鳥居峠の2つの上り坂を含む90km。 普通はもっと楽しいはずの木曽路の旅は、自分にとってはかなりしんどい区間であった。

 ここまで3日間で、350km以上も走ってきた。明日はいよいよ選択の日。下諏訪からどちらに進むのかを決めねばならない。果たしてどうなることやら。


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