31 洗馬宿〜30 塩尻宿 長野県塩尻市
洗馬(せば)宿は、江戸初期に中山道のルートが変わったときに作られた人口集落。 その昔は150軒ほども家があり、大いに賑わった宿場だった。 だが昭和初期に大火が起こり、古い街並みはほぼ完全に失われたという。 洗馬の本陣跡には、丁寧な説明が書かれていた。 本陣・脇本陣にあった立派な庭園は、現在中央本線洗馬駅の敷地になっている。 そしてここ洗馬には名水、「邂逅の清水」が湧き出ている。自由に汲んでいいので、今日の分の飲み水を確保しに行く。 「邂逅の清水」。邂逅(かいこう)と書いて「おおた(古典仮名遣いで『あふた』)」と読む。 自信はないながらも漢字から素人が推測するに、おそらく「会ふ+たり」が転じたものだろう。 ここで平安の末の世に例の木曽義仲がとある武将と会った場所という言い伝えがあり、それを考慮するとそこそこ的を射ている気がする。 道に自転車を置いて、歩いて水が湧き出ている場所に行く。冷たい水が溢れんばかりに湧き出ていた。 喉を潤し、そして持っていた空のペットボトルに水を入れる。 それから自転車を置いておいたすぐ先には、中山道と善光寺西街道の追分があった。 善光寺西街道は北国脇往還とも呼ばれ、松本を経由し篠ノ井追分(長野県長野市)に続く街道である。 そこで善光寺街道(北国街道)と合流し、妙高高原を越えて北陸道の高田(新潟県上越市)まで行くことが出来る。 これくらい見ていけばまあ満足。洗馬宿を出発する。次の塩尻宿までは、旧道を通れば7kmほどの距離。 旧道を辿るのは迷う可能性があるのでやめる。とりあえず目印となりそうな、塩尻駅を目指すことにした。 途中、「中仙道一里塚という交差点があった。多分この近くに一里塚があるのだろう。その先の信号を右折し、塩尻駅を目指す。 右手には畑が広がっていた。ブドウ畑だろうか。実りの秋とは真逆の季節。葉っぱはほとんどなかった。 そんな道を進むと、第1通過点、塩尻駅に到着する。 塩尻駅は長野県の要衝となる駅。 今まで通ってきた木曽谷経由で名古屋へ続く中央西線、甲州街道にほぼ沿って東京へ続く中央東線、そして松本・長野方面へ延びる篠ノ井線、 それから一部の電車は伊那谷の飯田方面へ行くなど、色々な行き先の列車が見られる駅だ。 ちなみにこの時は、名古屋行の特急と東京新宿行の特急の2つの電車が止まっていた。 その後線路を渡り、国道19号と20号の分岐点という第2通過点に到着。ここから地図をよく見つつ、国道沿いの塩尻宿があった場所を目指す。 |
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