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23 塩名田宿〜22 岩村田宿  (旧:長野県浅科村〜)長野県佐久市

 川幅数十メートルの千曲川を渡り切った。旧道は橋の高架の下の左手だ。 歩きの人なら左手の階段を使って旧街道に合流すればよいのだが、自転車を担いでその階段を降りるには狭すぎるので、車道をVの字に右に曲がって橋をくぐり、旧街道に合流した。

 千曲川の河畔の宿場であった塩名田宿。先述の通り、当時は千曲川に橋が架かっておらず、一度豪雨となると旅人は何日も足止めをくらってしまった。 そのため、塩名田宿は川止めのため重要な宿場であったと言える。東海道の金谷宿・島田宿や、奥州街道の鍋掛宿・越堀宿などと同じだ。

 塩名田宿は、西から順に、川原宿、中宿、そして下宿の3つから成立していた。 宿場の雰囲気が残る川原宿から、坂を頑張って上って、中宿に入る。

 右手には古風な家々が並んでいる。宿場を楽しみつつ、ゆっくりと自転車を進めていく。掲示板として使われている、復元された高札場が左手に見えた。

 そのすぐそばに、2軒の塩名田宿の本陣はあった。うち、左手の1軒は現存。説明板によると、1756年に建てられたものを改装して、今なお人が住んでいるという。

 時刻は既に16時半近い。太陽はぼちぼち沈まんとしている。宿場や旧街道の空気を最大限味わいつつ、旅を続ける。ここから次の宿場まで、4kmちょっとである。

 街道沿いの集落、そして田畑と景色がコロコロ変わる中を東へ進んでいく。林檎の果樹園も少し見たような気がする。 和田峠・笠取峠越えのため、そこそこ疲労が溜まっていた。しかし、黄昏時のサイクリングを、どこか懐かしさを憶える思いに浸りながら楽しむくらいの余裕はあった。

 中部横断自動車道の高架を潜れば、岩村田宿まであと1kmくらいである。


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