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20 追分宿〜19 沓掛宿  長野県軽井沢町

 追分宿に入る直前に、今日のメインイベントの1つが待っている。 「中山道69次博物館」の訪問である。

 博物館に到着後、早速中に入る。 開館したばかりの博物館の中には、見たところ、誰も見学者はいないようだった。 そのため、元々高校の社会(地歴)の教師であった館長さんから、地図を使って中山道のご説明を一人で受けることができた。

 そしてこの時、当時の中山道と甲州街道の利用者が2:1ほどであった旨の話を伺った。

 その後、説明を受けた地図を改めて眺める。地図の上には、各宿場の標高を示した図がある。

 ここから日本橋までは残り150km〜160km。中山道の540kmの道程を、既に7割終えたことになる。

 これまで、摺針峠、十三峠、馬籠峠、鳥居峠、塩尻峠、和田峠、笠取峠を越えてきた(厳密には十三峠は越えてないが)。 そして、残る峠はは碓氷峠のみ。しかし江戸側から上れば相当骨を折る碓氷峠も、下諏訪・京都側からは大したことはない。


 それから、中山道の69の宿場の展示を一つひとつじっくりと見ていく。 69の宿場全てに浮世絵と平等な展示スペースがあるのがこの博物館の特徴だ。

 これまでの49の宿場の思い出、そして残る20の宿場に思いを馳せる。

 中の展示を見終わったら、今度は外の展示である。資料館の庭がミニ中山道となっているのだ。

 庭をゆっくり散策して、これまで走った、そしてこれから走るであろう道に思いを募らせる。



 結局1時間ほど博物館にいただろうか。十分に中山道69次博物館の魅力を味わうことができた。最後に館長さんにお礼を言ってから、出発する。

 さて、今度はリアル中山道を味わう番である。信濃追分は、中山道と北国(ほっこく)街道の分岐点である。

 北国街道は、ここ信濃追分から上田・長野を経由し、新潟の直江津に至る街道である。 現在の国道18号や上信越自動車道、またはしなの鉄道およびJR信越本線とほぼ同じルートの道である。


 そして追分宿は、ここからの3つの宿場、「浅間三宿」の中で、一番栄えた宿場であった。例の和宮さんもここに宿泊した。 追分宿が、前後の宿場と比べて標高の高い場所に位置していたことも賑わいに関係していたのかもしれない。

 本陣跡の隣に、幕府の御触れ等を掲示するための高札場があった。 30年ほど前の昭和58年に、古文書を元に復元したもののようだ。

 追分宿周辺の旧中山道は、完全に旧道の雰囲気である。それを噛み締めながら進んでいく。

 追分宿を後にする。この先一部、旧中山道と国道18号が一致する。次の宿場までは新道を通っていくことにする。

 国道18号の案内板が追分の交差点にあった。それによると、高崎まで51km、東京まで161km。 残りは頑張れば1日で走れなくはない距離である。ゴールが具体的に見えてくると、気分が高揚するものだ。

 三連休の中日のこの日。軽井沢は車が多い。長野以外のナンバーもちらほら見受けられる。 11月にしては暖かいということも、観光客が多い要因の一つであろう。


 …ある意味、自分も軽井沢を訪問している観光客の一人ではあるのだが。まあ、訪問の目的は多くの人と違うというのも事実であるが。


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