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18 軽井沢宿〜17 坂本宿  長野県軽井沢町〜群馬県安中市(旧 松井田町)

 旧軽ロータリーまでやってきた。かつて軽井沢宿の、京都側の枡形(敵の侵入に備えるための街道のカーブ部分)だった場所である。

 軽井沢は、現在は「かるいわ」と読むのが正しい(駅名・町名等)が、江戸時代当時は「かるいわ」と読むのが正しかった。 地元での読み方も後者である。

 軽井沢町観光経済課のサイトには、明治以降、軽井沢が避暑地として広まって外国人の往来が盛んになり、従来の「かるいわ」から発音がし易い「かるいわ」へ変化していった、という記載がある。




 休日の旧軽井沢銀座は、やはり観光客が多い。とても自転車には乗れないので、ここは大人しく自転車を押していくことにする。

 明治以降の開発により、旧宿場町の雰囲気は全く残っていないと言っても過言ではない。ただ、かつての宿場町の名残はいくつかある。

 例えば、現在はアートカフェになっている、軽井沢宿脇本陣の一つ「江戸屋」。それから現在は旅館になっている、旅籠の「鶴屋」などである。

 またこの通りには、かつては碓氷峠で売られていた、名物「力餅」の店がある。 折角なので、碓氷峠で食べる用に、きな粉餅を購入しておく。

 このままずっと旧道を進むと、旧碓氷峠まで到達することができる。 ただし、群馬県側に入ってしばらくすると、旧中山道は山道となる。 自転車を担ぐという手も無くはないが、このルートは素直に諦める。

 軽井沢駅前まで戻り、バイパスでない国道18号を進むことにする。




 軽井沢駅からわずか1.5kmほどで碓氷峠に到達。1.5kmでの獲得標高はわずか30m足らず。 江戸側から上ると非常に骨を折る碓氷峠だが、下諏訪・京都側から上るとホントに何てことはない。 旧道ならまだもう少し手応えがあったのかもしれないが…

 そして、碓氷峠から先にはもう峠はなく、上りで苦労することはない。ここから高崎まで下りてしまえば、残る中山道は関東平野である。

 景気づけに、先ほど購入した力餅を、ここで食す。柔らかな餅ときな粉の微妙なしょっぱさが合い、なかなかに美味だ。

 食べ終えたら、いよいよ碓氷峠を下り始める。しばらくは位置エネルギーにのみ身を任せられる。

 箱根峠の時とは異なり、自転車の人とすれ違うことはなかった。 それどころか、ほとんどの車は上信越自動車道か国道18号のバイパスを走るので、車とすれ違うことも稀だった。

 また、スピードが結構出てたので、数少ない前を走る車に追いついてしまうことがあった。 その時は、車が前に進むのを待つか、思い切って抜かすかして対処した。抜かす時は気分が良い。

 途中、かつての信越本線のレンガ橋付近を通過。長野新幹線(北陸新幹線)の開通時に廃線になった、信越本線 軽井沢〜横川間の遺構である。 周辺の看板によると、線路跡が「アプトの道」という散策路として整備されているようだ。観光客が結構いた。

 体力をほぼ全く消費しないこの区間のサイクリングは、非常に楽しかった。交通量も少なく、精神的にも疲弊しなかったことも大きいだろう。 紅葉を楽しみつつの碓氷峠であった。



 碓氷峠から11kmちょっとで、登山道の旧中山道と合流。ここまで来れば、坂本宿は間もなくだ。


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