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17 坂本宿〜16 松井田宿  群馬県安中市(旧 松井田町)

 上野国における中山道最西の宿場、坂本宿。軽井沢宿と同様に碓氷峠越えの前後の宿場であるため、江戸時代当時は大層賑わったようだ。

 宿場の入り口には、街の境目を示す「木戸」が復元されている。この門は、夜は閉められるものだった。

 坂本宿内の旧中山道は真っ直ぐな道である。このことから、坂本宿は江戸期以前からあったものではなく、中山道整備時に、計画的に作られた宿場であることが良く分かる(手持ちの資料には、宿場成立は1625年とある)。

 そんな直線の坂本宿を、本陣跡などをチェックしながら、当時の賑わいを想像しつつ通過していく。 京側の木戸から江戸側の木戸までは700mほどだった。その後すぐ上信越自動車道の高架を過ぎる。

 先ほど宿場内に、京都からここまで102里と書かれた石碑があった。残る旅路はあと4分の1ほどであることを実感させてくれる。

 坂本宿の先には中山道の3つの関所の1つ、横川の関所があった。 残る2つは既に通過した、木曽福島と贄川の関所である。前者は春の中山道・甲州街道旅で訪れたが、後者は真っ暗で場所が分からず断念した苦い記憶がある(前述の通りニアミスだったのだが)。

 なお今回の旅の1日目の草津⇒下諏訪の電車移動の際に、車窓からちらっと贄川関所を確認することができていることは追記しておく。



 迷うことなく到着。復元された関所の近くには史料展示室があり、そこも訪れる。 中には案内のボランティアのオジサンがいらっしゃり、色々とお話を伺いながら史料を見させてもらった。 当時の関所の様子を復元した模型と、関所の役人の衣服の展示が記憶に残っている。

 10分ちょっといただろうか。最後に、関所のパンフレットと通行手形のコピーをお土産に頂いておいた。

※碓氷関所史料館は2018年3月18日に老朽化のため閉館されました。

 こうして関所を“通過”。それから信越本線横川駅へ。現在は群馬側の信越本線の終点、そして日本一有名な駅弁と言っても過言ではない「峠の釜めし」で知られる駅だ。

 当初はこれが昼御飯の予定だったのだが、売店前には釜飯を求める長蛇の列が。先も急ぐので、釜飯はまたの機会にすることにした。

 ふと横川駅のホームを見ると、蒸気機関車が止まっていた。釜飯の長蛇の列の半分くらいはこの乗客なのかもしれない。もう半分は、登山客といったところか。



 再出発。ここから松井田の街中までは、この信越本線と並走する。 新幹線ができる前はここを関東と長野方面を結ぶ特急も走っていたのだろうが、現在は普通電車が1時間に1本程度のローカル線である。

 国道と合流。左手に線路、快適な気候、そしてまだまだ続く下り坂。この区間は旧道を走るつもりだったのだが、あまりのサイクリングの気持ちよさに、碓氷神社の前の踏切を渡るのを忘れてしまった。

 まあそれはそれで良しとして、そのまま国道18号を進む。

 時刻は14時を回ったところである。高崎まであと25km、日本橋まではあと130kmちょっと。


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