橋をさくっと渡ると、あっという間に板鼻宿に到着した。
前述の通り、板鼻宿は碓氷川を挟んだ江戸側の宿場である。東海道の金谷宿などと同様、川が増水すると川止めとなり、下諏訪・京方面へ“上る”旅人はしばらくこの宿場に留まらなければいけなかった。中山道としては数少ない増水時の逗留ポイントである。
板鼻の宿場に入って間もなく、左手に水路が現れた。いかにも古くからの水路のようで趣があり、少しだけ立ち止まらせてもらった。
後で調べてみると、やはりこの水路は江戸時代からのもので、「板鼻堰(せき)」と呼ばれる用水路であることが分かった。 地図によると、板鼻堰は、先ほど橋を渡った近くの碓氷川と九十九川の合流地点から取水しており、最後は高崎市を流れる烏川に合流している、全長15kmほどの水路であるようだ。
さて、ここ板鼻には例の和宮さん(皇女和宮)の資料館がある。場所は、現在は公民館となっている本陣跡の傍だ。 先ほどの安中の武家長屋はスルーしてしまったので、こっちは見ておきたい。
本陣跡に到着。だが、どうも様子がおかしい。公民館が閉まっているのだ。
よくよく調べてみると、土日祝は公民館も資料館も閉館らしい。久々にタイミングが合わず。なんということでしょう。
少し心残りであるが、板鼻宿の雰囲気を味わってから、次の宿場に向かうことに。安中・板鼻の宿場はいつかまた訪れることとしよう。
ここからしばらくは、国道18号が旧中山道と一致している。ロードバイクの本領発揮と言いたいところだが、位置エネルギーを使ってきたこれまでよりはスピードは出ない。
ここまで来れば、ゴールの日本橋までは120km弱の距離である。中山道の旅も8割近くが終わった。120kmなら、1日あれば十分走れる距離だ。
烏川を渡るときに、交通量と道の複雑さに少し辟易したが、無事に高崎の市街地に入ることができた。大通りを基本の通り道として選び、市内中心部へ向かう。