北関東の大都会の一つ、高崎。通ってきた中山道沿いでは、岐阜市(加納宿)以来となる、久々の大都会である。
江戸時代当時は、高崎は城下町であった。信濃や越後をはじめとする場所から、人や物がたくさん集まり、賑わったことであろう。 ただ宿場町としては、お約束である諸大名の城下町の宿泊の敬遠のため、本陣や脇本陣は存在しなかった。
現在、高崎城は、所々に残っている櫓や堀が、県の指定重要文化財や市の指定史跡となっている。
高崎駅からは東京・上野行の普通列車が多数走っていることからも、ここまで来れば東京までの心理的距離もずいぶんと近くなる。 自転車でも、あとは関東平野を100kmちょっと走るのみ。ここから先の道は、ほぼアップダウンはない。
加えて、大通りを走っていれば、夜でも街灯で明るいのは助かる。気を付けていれば、大きく迷うこともないだろう。
一方で、ここからは交通量が多くなるので、交通事故には細心の注意を払う必要がある。東海道の時の横浜のような事態は避けたい。心を引き締めて、高崎を発つ。
新幹線の高架を過ぎたところに、次の倉賀野宿まで2.8kmと書かれた、そこそこ古そうな木の案内板があった。その先からは道幅が狭くなり、旧街道らしい雰囲気になった。
大抵の車は国道17号を走るからであろうか、旧道は思ったほど交通量も多いわけではなく、助かった。それでもやはり、これまでよりは車が多いのは事実だが。
16時半を回ってから、急に暗くなってきた。真っ暗になる前になるべく進みたいのだが、そこそこ疲れており、スピードが上がらない。