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04 大宮宿〜03 浦和宿  さいたま市大宮区〜浦和区

 東武野田線の北大宮駅のすぐ近くの東北本線(宇都宮線)の高架を過ぎると、高い建物が一気に増えた。 とうとう大宮の街に入ったことを実感する。

 ここで、旧街道を久々に一度逸れることにした。そして、大宮の名前の由来になった、武蔵国で一番の格式を誇る神社である、氷川神社に向かう。

 少しだけ氷川神社の参道を走り、入口の鳥居までやってきた。 七五三の時期のため、着飾った家族連れが多かった。



 鉄道唱歌にて「大宮駅に宮ありて」と歌われているように、 宿場町として発展するずっと前から、武蔵国一宮の氷川神社の門前町として発展していた大宮。 江戸から30km弱しか離れていないが、中山道の宿場としての規模はそこそこ大きかったと手元の資料にある。

 明治以降は、鉄道の街として発展。東北新幹線や上越新幹線の開業時には、暫定的な始発駅にもなった。 現在でも、南関東と北関東・東北・信越・北陸方面を結ぶ路線をはじめとする、たくさんの路線が乗り入れている。 鉄道博物館もここ大宮にあり、鉄道の街の顔となっている。これまで自分自身も、大宮駅での乗り換えは何度もしてきた。


 ただ、これまで自分は大宮は、あくまで鉄道の乗り換えでしか“使って”いない。 名前の由来になった氷川神社を訪れるのは初めてである。

 自転車を邪魔にならない場所に止めてから、いつもの参拝の手順通り、手水をしてからお参りをする。

 それから、恒例となっている交通安全守をいただく。 ここ氷川神社には、甲州街道府中宿の大國魂神社と同様に、シールステッカーの交通安全守があったので、それをいただいた。


 その後は境内を軽く散策する。 敷地内の、隣り合う小さな2つの社とその近くの紅葉が、秋のよき雰囲気を醸し出していたことが印象に残っている。

 参拝を終え、再び中山道に戻る。大宮の駅前は道幅が狭く交通量が多い。 交通整理をしていたオジサンに促されて、事故に気を付けつつ進んでいく。

 ここからもしばらくは、新道(国道17号)ではなく旧中山道を忠実に進んでいこうと思う。


 確かに旧道は交通量は多く道幅は狭いので、お世辞にも走りやすいとは言い難い。 だが、ここでは中山道自転車旅をしているという気分を優先した。

 ありがたいことに、さいたま市の教育委員会は、旧中山道を歴史散歩コースとして紹介しているようで、 旧街道沿いには色々な史跡の地図付き説明板がそこそこの数あった。

 その地図を確認していけば、旧街道が再開発等で途切れていないこともあって、迷う心配はほぼなかった。


 さいたま新都心の駅を過ぎれば、大宮区から浦和区に入る。 ここから浦和の中心部までは5km弱。中山道関連の史跡をチェックしつつ、旧道サイクリングを進めていく。



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