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20 野田尻宿〜19 鶴川宿   山梨県上野原市

 山の中の集落その2、野田尻宿。集落の真ん中あたりに、お決まりの明治天皇関連碑があった。 ただ、今は建物はない。明治以降に大火があったのかもしれない。

 先ほどの犬目宿と全く同じ型の、野田尻宿の立派な石碑もあった。 地図付きの案内板もあったが、なぜか南が上方向の地図だった。 当たり前のように北を上にした地図に見慣れているので、このことに気が付かないと180度真逆に考えてしまうことになる。 そのせいで、どっちに進めばよいのか一瞬迷ってしまった。

 前からハイキング姿のご夫婦がやってきた。自分が荷台にくくりつけてある甲州街道の地図と同じ地図を持ち歩いていた。 お仲間という証拠なので、早速話しかけてみる。

 「いやー、自転車の人は初めて見ましたよ」

 そう男性がおっしゃった。確かに自分も、歩きの人は何人も会ってきたけど、自転車の人をまだ見ていない。 ただ自分が、一般的な人と逆方向で巡っているから他の人に会いやすいからだろうか。

 そのご夫婦は、鳥沢か猿橋の駅まで歩くと言っていた。確かにまだ15時なので、歩いても暗くなる前に中央本線の線路沿いに出られるだろう。 お互いの旅の安全を祈り交わし、野田尻宿を出発する。このような出会いが旧街道自転車旅の醍醐味の1つ。

 もう一度、中央自動車道の南側へ行く。その後は少しの間、高速道路に沿った道を進む。 多少の上りはあるが、全体的には下っているので、下りで勢いをつければそんなに苦にならない。

 その先の旧甲州街道沿いの家々を通り過ぎれば、またもや一里塚跡があった。 大椚(おおくぬぎ)の一里塚という名前の、江戸から19番目の一里塚。 つまり日本橋まで、75kmを切ったことになる。

 車が来なくて舗装状況も良い下りの快走路。この辺りの旧甲州街道は、サイクリングにはもってこいの道だった。

 中央自動車道の上をまた通る。先ほど横を通った時はスムーズに流れていたのだが、上り方面が渋滞していた。 三連休の最終日なので、Uターンラッシュが発生したのだろうか。

 全く渋滞とは縁のない場所から、「いやーご苦労さん」と位置的にも心理的にも上から目線で見下す(性格悪いですね)。

 そんな性格の悪さが祟ったのか、ここで問題が起こる。なんと、下り坂でブレーキが利かなくなってきたのだ。 調べてみると、ブレーキシュー(制輪子:タイヤのリムに押し当てて、摩擦で減速させる部品)が摩り減ってなくなったいた。

 雨の中だと、このブレーキシューはあっという間になくなる。3日前、中山道の馬籠峠と鳥居峠を雨の中下ったという心当たりが。 京都を出発する時にきちんと変えてきたはずなのだが、たった6日間で交換する羽目に。 ともかくブレーキが利かないと危険なので、せっかくの下りなのに押して進むことになってしまった。


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