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16 吉野宿〜15 与瀬宿  神奈川県相模原市緑区(旧藤野町〜旧相模湖町)

 コンビニの先の吉野宿は、江戸時代に甲州街道で一番大きな本陣があった宿場。 吉野の由来は奈良の桜の名所から(奈良県吉野郡吉野町)。鎌倉時代に奈良の吉野からこの地に移り住んだという。

 当時の旅籠「ふじや」の建物が明治の大火後に再建され、現在は郷土資料館として使われている。 寄っていこうかと思ったが、閉館時刻は16時と結構早く、既に閉まった後だった。

 吉野を過ぎれば、すぐに中央自動車道の相模湖インター。先ほど野田尻〜鶴川間で上り方面が渋滞してきた様子を 上から“冷やかして”いたが、オレンジ色の電光掲示板によると、八王子方面は10km以上の渋滞がまだ続いていた。 そのせいもあるのか、国道20号をそのまま進む人も多く、交通量は多かった。

 夕暮れ時になりつつある相模湖を右に見つつ、サイクリングを楽しむ。 大垂水峠の上り坂が少しずつ始まっているのか、まだそんなに激しい傾斜ではない。 ただ道幅は狭く、自転車には優しくない道だった。

 関野・吉野の集落と与瀬・小原の集落の間は、このように現在は地理的な隔たりが多少あった。 ただし相模湖ができる前(昭和前期以前)は川沿いのルートだったので、今よりは緩やかな道だったと思われる。

 次の与瀬・小原は合宿だったが、ここだけ交代制ではなく片継ぎ制というシステムを採っていた。


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