15 与瀬宿へ戻る  甲州街道表紙  小原宿〜小仏宿 後半へ進む


14 小原宿〜13 小仏宿 前半  神奈川県相模原市緑区(旧相模湖町)〜東京都八王子市

 先ほどの与瀬宿と片継ぎ制(合宿)だった小原宿は、本陣の屋敷が残っていた。 ただここも、吉野宿のふじやと同じく16時閉館だったので見学はできなかった。

 ここ小原宿は、江戸方面から甲府・下諏訪・京都方面へ向かう場合だけに使用された宿場だった。 言い換えると、、小仏峠を越えて相模国に入った旅人はここ小原宿で継がれ、そして与瀬宿は“通過”して関野宿方面に向かった。 逆に甲斐国方面から来た旅人は、ここ小原宿はスルーして、小仏峠の先の小仏・駒木野の合宿へ向かった。

 その先の「小原の郷」という展示館には、小原の古文書などが展示されている(当然、ここももう閉まった後だったが)。 傍には甲州街道では珍しい、宿場の一覧の看板があった。 上下に分かれている初狩宿などは1つで、上石原や国領などは“布田五宿”と一括りにされていたが、 下諏訪と日本橋を含めた39か所の宿場がよくまとめられていた。

 展示館の隣の国道20号には、63kmポストがあった。 今までは全て「東京まで x km」という表示だったが、それが「日本橋まで」となっていた。 とうとう最終ゴールが具体的に見え始めた。

 本当の旧甲州街道は、ここから高尾山の北側の小仏峠(標高548m)を越えて武蔵国に入る。 歩きの人は、当然その道を進むことになる。 だが小仏越えの道は登山道で、自転車では通行不可能。 その代替ルートとして今回は高尾山より南の、国道20号の大垂水峠(おおたるみとうげ:標高392m)を選ぶ。

 ただし土日と祝日は、大垂水峠は原付が通行禁止。それなのになぜか自転車は通行可。 まあ仮に自転車がダメだとしても、押して歩行者になれば良いだけなんですけどね (歩道はあるので、歩行者は通行可能)。

 今日最後、そしてこの自転車旅最後の峠越え開始。 車があまりにも多いので、安全のために歩道がある所は歩道を通る。 車道を走っても自動車に迷惑がかからないスピードで上れればいいのだが……(お察しください)。

 ここまで2つの峠を越えてきたが、一昨日のように足が攣りそうにはなっていない。 昨日1日休んだのは大正解だった。

 上っている途中、はるか遠くにある富士山が綺麗だった。 峠を越えるのは基本的に嫌いだが、楽しめる所ももちろんある。 最後の峠ということもあり、嫌なことも楽しむ姿勢で上る。

 ついに、大垂水峠にやってきた。上野原の山側の3宿場の上りに比べれば、そんなに大変ではなかった。東京都に突入。

 下りは自動車の制限速度を超過しないように、そして事故を起こさないように気をつける。 車に乗っている人も、夕方のこの時間が見にくく一番事故が多いので、細心の注意を払う。

 特に注意を払ったのは、圏央道の高尾山インターのところ。 青信号になっても、車が来ないか四方八方をよく確認して通過した。

 市街地に近くなって、旧甲州街道と国道20号が合流。高尾駅付近まで来ると、完全に市街地に入った。

 最後の夜は、岐阜以来の健康ランド「ふろっぴぃ」に宿泊。 個人的には、某幼児向け通信教育教材に出てくるオウムのキャラクターの名前を連想した。 夕食の前に、一度この場所を確認することにした。

 街中は久しぶりで、迷った。色々な人に場所を聞いてようやく、住宅街の中にある健康ランドを発見することができた。

 その後しばらく夕食が食べられる場所を探す。 高尾の駅の近くならあるかと思ったが、居酒屋がメインでチェーン店などはなかった。 住宅街なので、この辺りには食事処は必要ないのかもしれない。

 結局国道20号に戻り、通り沿いにあったラーメン店に入る。 とにかくエネルギーを使う自転車旅。自動車がガソリンを“飲む”のと同じように、人間が食べ物をたくさん食べることになる。 ボリューミーなラーメン・御飯・餃子もあっという間に完食した。

 確認しておいた、健康ランドに向かう。途中、タイヤが七色に光る自転車が走っていた。 異様に目立っていたが、いったい何だったのだろうか? そんなことを思っているうちに、先ほど通った道を通ればすぐに着いた。

 明日は一度東京側から小仏峠方面に戻り、小仏宿と駒木野宿の見学をする。そしてその後に八王子方面に向かうことにする。 ここ高尾からは、国道20号経由なら日本橋まで50kmほど。しかも関東平野に入ったので、もう峠の心配は全くない。 明日はいよいよ、中山道前半・甲州街道自転車旅のクライマックスを迎える。


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