プロローグ
2013年8月5日夕刻。場所は東京の日本橋。私はようやく辿り着いた。 京都三条大橋を6日前に出発し、そこから東海道を自転車で東へ向かった。途中1日の休憩を挟んだが、なんとか東京に着いたのだった。 東海道五十三次自転車旅(大阪から含めると五十七次)。総括すると素晴らしい旅だった。 三重亀山の関宿は綺麗に街並みが残されていた。真夏だというのに名古屋の熱田神宮は思ったより人がいた。 静岡由比の峠からの駿河湾と伊豆半島の眺めは絶景だった。 真っ昼間の箱根峠越えは本当にきつかったが、箱根峠から見えた芦ノ湖は疲れを吹き飛ばしてくれた。 少し寄り道をして、神奈川鎌倉の鶴岡八幡宮と横浜中華街も観光できた。 他にも色々あったが、宿場町を巡りつつ東海道を走破したのだった。 そこで、とある考えが浮かんだ。東海道を自転車で走り終えたら、もう一方の京都東京間のルートも自転車で走ろうという考えだ。 そのルートとは、中山道である。 江戸時代、五街道の一つに位置付けられた中山道。東海道の次に重要な位置づけにあった街道だ。 宿場町は69か所で、東海道五十三次に対して中山道六十九次とも呼ばれる。 起点は東京日本橋、終点は京都三条大橋と東海道と同じ。ただ、海側を通っている東海道とは違い、山側を通るルートだ。 京都三条大橋から滋賀の草津までは東海道と同じルートで、そこで海側(三重方面)を進む東海道と別れ、 中山道は滋賀県の琵琶湖沿いを進む。その後は岐阜県に入り、関ヶ原・岐阜・中津川と岐阜県を横断する。 そこから長野県の木曽地域(木曽川沿い)を通って塩尻・諏訪へ。諏訪からはさらに山を越えて佐久・軽井沢を通り、 碓氷峠を通って群馬の高崎へ。最後は関東平野を進み、さいたま市(大宮・浦和)を通って東京日本橋に到達する。 これが中山道のルートだ。 中山道の全長は東海道より約40km長い540kmほど。江戸時代の旅人は2週間強の期間で歩いた。 中山道は東海道より数日余計にかかったが、東海道のように大雨で川が渡れなくなったりしなかったので、 中山道ルートを選ぶ人も多かったようだ。徳川将軍へ献上する宇治茶を運ぶルート、 皇女和宮が14代将軍徳川家茂との婚儀のために京都から江戸へ向かう時のルートも中山道だった。 明治時代以降は名古屋などの東海道に近い沿いの都市を結ぶ鉄道などが中心の交通構造になったために、 残念ながら中山道周辺の街は発展から取り残された地域も多く、海側の東海道と異なり21世紀になっても昔の雰囲気を残している地域も多い。 大学生の休みは長いが授業がある時は色々と忙しいので、東海道の旅をした夏休みの次にまとまった時間を取れるのは春休みだった。 だが、山沿いの道を進む中山道。当然雪が残っているということで自転車で行くのは危険。 周囲の人間には行くのは次の夏休みまで待った方が良いと言われ続けた。 だが、次の夏にはまた別の予定も入るだろうし、その時には行きたいという気持ちが立ち消えになっている可能性もなくはなかったので、 出来れば春休みに行きたかった。そこでルートを考えていたのだが、途中の道はともかくとして、 中山道最大の難所、標高1500mを越える和田峠越えは冬の積雪状況や天候によっては不可能かもしれないことを改めて知る。 そのため、長野の諏訪からは別のルートも候補に挙がった。甲州街道である。 甲州街道も五街道の一つに属していた。宿場町は45か所あったが、 東海道や中山道と異なり複数の宿場が交代で業務を行っていたところもあったので、 実質的な宿場町は32か所だった。これを「三十二次四十五宿」と呼ぶ。 甲州街道は、諏訪湖の畔、中山道の下諏訪宿から山梨の韮崎・甲府・大月・上野原といった都市を経由し、 神奈川の相模湖から東京の八王子に出て、最後は新宿を通って東京日本橋へ進むルートだ。 諏訪からは中山道ルートよりこちらのルートが近いが、江戸時代、甲州街道は物価が高かったり、 街道沿岸のインフラがあまり整備されていなかったりしたために参勤交代などではあまり使われなかった。 現在は中央本線・中央自動車道が通り、立派な日本を横断するコースの一つとなっている。そのような訳で、今回の中山道自転車旅は、とりあえず京都から長野の諏訪までは中山道を進むことは決定。 第一候補はそこからそのまま中山道を進む。第二候補はそこから甲州街道へ進路を変更する。このような何とも大雑把な計画を立てた。 ただ大雑把なのは日程だけで、今回の旅は東海道の時以上にしっかりと宿場やルートを下調べした。 わざわざ山側の道を選ぶのだから、ただ単に東京日本橋まで行ければ良いというものではない。 インターネットで調べるだけでなく、書籍もきちんと買って熟読した。 それ以外にも通っている大学の文学部図書館を何度か訪れて、街道に関する情報を少し集めてきた。 それから、自転車旅に不可欠な地図、ツーリングマップル(関西版・関東甲信越版)でルートを前もって考えたのは言うまでもない。 春休みの前半(2月)は運転免許取得のために実家から自動車教習所に行くことになっていたので、 この自転車旅は3月の後半に実施する計画を立てた。3月5日に無事に運転免許を取れて、その数日後には京都に戻ることができたので、 準備などを考慮して3月の20日前後を出発日に。最終的には天候などを考えて、18日に旅を始めることに決定した。 それでは、第二の長距離街道旅のはじまりはじまり。 |
中山道表紙 始 三条大橋へ進む