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53 加納宿〜52 鵜沼宿   岐阜県岐阜市〜岐阜県各務原市

 大通りから一本入ったところに、加納城はあった。

 加納宿は今の岐阜市内にあり、城下町・宿場町を兼ねていたことあって大いに賑わった街だった。 今回は訪れなかったが、旧道はいくつも曲り道が続いているらしい。

 そして加納城は慶長7年(1602年)に築城された。その後は明治維新まで加納藩藩主の居城だった。 現在では公園本丸跡が公園になっており、周辺には石垣が少しだけ残っている。

 公園を一周した後、コインランドリーへ戻る。洗濯終了まであと数分だった。 終わるのを待って、衣類を圧縮袋に入れて荷物をパッキング。

 準備ができた。改めて、中山道自転車旅2日目をスタートする。

 しばらくは国道21号を進むことに。下手に忠実に旧道を行くよりは、普通はスピードが出るからだ。 しかし、岐大バイパスは自転車通行禁止の場所がいくつもあった。 スピードアップを図ったのに、通行禁止の部分は国道を外れるのでかえって速度が落ちる。

 それでも国道を行ったり来たりしていたが、東海北陸自動車道の岐阜各務原インターで大きく外さざるを得なくなった。 そのせいで国道より南に行ってしまい、迷ってしまった。旧道からも外れ過ぎた。そこで国道21号を走るのを止め、旧中山道に戻ることにした。

 加納と鵜沼の宿場町の間には「間の宿」の新加納宿があったので、「新加納」という地名を地図で探す。 すると、名鉄各務原線には「新加納駅」がある。その近くに多分ある……と思ったので、改めてルートファインディングをする。 途中自動販売機でジュースを買ったり、収穫した春キャベツを運んでいたオジサンに道を聞いたりした。

 新加納の駅の近くまで来ると、無事旧中山道に出ることが出来た。ちょうど曲がり角の所だった。 当時はここに新加納の一里塚があったらしい。

 ここから旧道に沿って鵜沼の宿場を目指す。 住宅街だが、道幅と言い道路の直線具合と言い、旧街道ならではの雰囲気が出ている。

 やがて、先ほどの国道と合流する。

 各務原(かかみがはら)市役所のあたりに、「飛行機の街」という看板が。 各務原には現存する日本最古の飛行場があり、現在その飛行場は航空自衛隊の岐阜基地となっている。 「航空宇宙科学博物館」という博物館もあり、道中その案内板もいくつか見かけた。

 名鉄各務原線・JR高山本線の線路を渡るときは歩道橋。 ご丁寧にどちらの歩道橋にも「旧中山道」の文字が。自転車を押して歩道橋を上って下りる。

 その先のYの字の交差点で国道から一本外れれば、鵜沼宿のあった場所に入る。 


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